SEIJI 「世界旅行日記」

旅の始めに

エメラルドグリーンの海を見ている。

この辺りには町というものがなかった。港もなかった。勿論「世間体」というありきたりな社会的ルールなんかも存在しなかった。オーストラリアの最北端、ケープヨーク近くの島、ハギスタンアイランド。ケアンズから小型セスナで約2時間。白い椅子3脚が出迎えてくれる。

この島にはパプアニューギニアで本当にクロコダイルハンターをしていた建築家ロイが設計した6つ星フィッシングロッジがある。その昔、小さな貨物船で家族と資材、ニワトリ数羽と豚と一緒に移住してきたそうだ。そこから自分で小さなダムを建設し、大きなメインロッジと何軒かのコテージを作り上げた。フランス製の上品な青い小瓶のシャンプーが似合うとても丸みのある素敵なコテージだった。そこは辺境の地とのギャップが妙にマッチしていた。吊り橋を渡ってロッジに入るコテージにはハンモックが気持ちよさそうに揺れている。バリの高級リゾート風をあしらったメインロッジには世界中のお酒が質素な飾り棚の中で当時のオリンピックのような賑わいを見せていた。トイレの壁には 家族の写真と結婚式の時の写真、イギリスで有名な映画監督だった奥さんアンナのお父さんがにっこりとほほ笑みをたたえていた。このロイの創り上げた「理想郷」は、世界で有名な雑誌「ヴォーグ」でも紹介され、沢山のセレブも密かに訪れている。僕がここで出会った人物は興味深かった。自家用ヘリで到着したオーストラリア人の実業家ヘイドン、北海道のニセコにスキー場を所有していた。ベトナム戦争時代、東南アジアの元スパイのジェフ(嘘のような本当の話)シドニーの元新聞王グリーングラス。彼は自宅に鉄板焼きの部屋を持ち、世界に5台しかないロールスロイスを自宅のガレージに眠らせていた。アメリカで弁護士をしているカップル(顔が出てくるが男性の名前が思い出せない。女性は確かヘレン)。それから、ここで味噌を自分で作っているというロイの義弟ロバート。本当に味噌のように素朴な人だった。

このエリアには少数の原住民意外の集落は存在しない。まさに孤島と呼べた。島の前景はちょうど半円を足で一回クシャっと軽く踏みつぶしたような地形だった。そこには白い砂浜が盛ってあり、サラダのようにマングローブの林が添えてあった。セスナから見たこの島の印象はそんなイメージから始まった。

ここに訪れる人間の目的はもちろん豪快さを味わえるフィッシングとロイの料理だった。彼の作る料理は豪快だが繊細さも持ち合わせていた。そのバランスは各界のセレブの胃袋を余裕で満足させた。東南アジアの調味料も巧みに使い、釣り上げた大きな魚を小型クルーザーの小さな調理場であっという間に高級レストランの小皿料理にしてしまう。 僕が好きだったのはコーラルトラウトという赤い白身魚に小麦粉、卵をビールでつないだ「ビアバター」という天ぷらのようにサクサクとした衣をまとった一 品。そしてそれには魚醤とネギを根気強くアップルソーダで煮詰めた甘じょっぱいソースに付けて食べた。この料理には感想などいらなかった。英語でよく「胃袋には記憶がない」というが、この一品には少なくとも記憶が鮮明に存在する。

 

僕の旅には明確な目的というものがなかった。すべては好奇心から始まった。

 

オーストラリアで新聞を読んでいたら、インドネシアで巨大な蛇が人を飲み込んだ状態で発見された記事があった。行ってみたいと思った。実際現地へ飛んだ。スラウェシ(マッカーサー)島 のトラジャという場所に幻のコーヒー農園があると聞いた。行って実際飲んでみた。粉のうわずみを飲むというスタイルで口の中にざらつきを覚えた。モンゴル平原で地平線を見ながら乗馬をしてみた。初乗馬で馬が全力疾走しだした。テレビで見たあのアンコールワットの遺跡にタイ国境から乗り込み、行く手をさえぎる銃を持つ輩を沢山の賄賂で払いながら凸凹道を乗合い四駆が走り抜けた。1998年の事だ。ちょうど二つの国の国境が開いた1か月後の事だった。ホテル到着後にはあまりの道の悪さで初めて下血を経験した。モルディブの水上コテージでしばらくのんびりしてみた。くっきりとした雲の隙間から溢れる夕焼けの光を、サンゴ礁の上から眺めた。パリに移り住み、ブティックでスーツを買ってみた。今思うとなかなかのインパクトで袖を通す機会が少ない事に気づいた。チベット近郊4000mを散策して、小学校低学年の時に富士山に登ってかかった高山病を思い出した。中国長江のボートクルーズの船上で、ハリーポッターのダニエル・ラドクリフの親友というイギリス人の子に会った。そしてその子とその夜のイベント、じゃがいもをひもで股間に吊るし(正確にいうと腰にひもを巻きつけ、股間に垂らした)ボールを打つという船上ゲームに参加した。

 旅はまったく色々な経験をさせてくれる。

 そんな僕の「人生の象徴」ともいえる「旅の記憶」を書いてみようと思った。

 旅が教えてくれたこと。

これを読んだ皆さんに、僕の「心のモノサシ」を変えてくれた体験を少しでも共有出来たら本当に嬉しい。


オーストラリア ハギスタン島

オーストラリア人でもこの島の存在を知る人間は多くないだろう。

この島に一般的に訪れる方法はセスナ機をチャーターする事。

そしてこの島の近くのヒックス島へ。着地は予想と違ってスムーズに降り立った。

ここからボートでハギスタン島へと移動する。移動時間は、何篇かで構成された長めのクラシック協奏曲を聴くくらいの時間だった。適度に心地よい時間。海面に反射した眩しい海原を見ながら、波風と太陽の陽射しを目一杯にボートの先端で浴びると、何もかも忘れるくらい最高だった。ちょうど色々なものをろ過して、キラキラしたポジティブな結晶だけ残して、それで心の中を満たしたような感覚だった。

ロッジはそれぞれ個性を持ち、まるで生きていて呼吸をしているかのようにぬくもりがあった。それぞれのベッドには真っ白な蚊帳(かや)が用意されていてその白さが気持ち良かった。その蚊帳が、時折風に繊細に吹かれてゆらゆらと揺らめくと、本当にこの部屋が生きていて呼吸しているように見えた。

 

静寂の中、ゆらゆら揺れる白い蚊帳を見つめながら耳を澄ましてみる。 

途切れない波の音。

どこからか来た小鳥のさえずり。そしてお互いの葉っぱでささやきあう林の木々。

この風景と音がシンクロしている。

時間は永遠でいつまでもこのままいられるんじゃないかと思わされた。

ここには幸運にも過去2回訪れた事がある。

僕のオーストラリアの父イアンが、この島のコンサルタントをしているのがきっかけで連れて来て貰い、それぞれ2週間程滞在させて貰った。ちなみに僕は料理が結構得意で調理師免許も持っているのをイアンが知っていて、すでにロイにもその話しをしてあった。半ば「計画的なまかないシェフ」になっていた

このお父さん、なかなかの大物で、北クイーンズランド州の政府の高官で土地関係のトップを任されていた人物。パプアニューギニアからブリスベンまでの数千kmに渡って天然ガスのパイプラインを形成するプロジェクトを行っていた。その時、ケープヨークの土地を調査していた時に濃密な"緑"がのたうちまわってるようなジャングルの中で、兵隊のように整理された緑の畑を部下の一人が見つけた。イタリアンマフィアの栽培しているマリファナ畑だった。部下に手を出さないように告げてそっとその場を立ち去ったそうだ。映画のような話しが現実にあるのがこの世界だ。

そのお父さん達とは毎日のようにフィッシングとスノーケリングを楽しんだ。毎日のようにと言ったが、実際毎日した。ハッキリ言ってそれしかやる事なかった。でもそれが一番だった。

このオーストラリアの東海岸にはグレートバリアリーフと言われる約2000kmに渡ってサンゴ礁版「万里の長城」を長く形成している。日本列島サイズだ。ちなみに宇宙から肉眼で見える建造物には「万里の長城」が含まれていて、宇宙から見える生物はこのグレートバリアリーフだけらしい。それが十分理解出来たのがこの干潮時のサンゴ礁の地平線だった。

「人間が踏み込まない領域」程、素晴らしい自然はないと思った。海の中に潜ると更にその青い光の景色に胸を強く震えさせられた。こんなに「完璧」な状態のサンゴ礁は見た事がなかった。大事にしていた箱庭を無限につなぎ合わせて海に放ったような、繊細でいて豪華な景色が拡がっていた。

その中で色々な生き物と出逢った。美術の授業で習ったカラーコントラストの相性抜群な小魚達。ここの小魚達を寄せ集めたらカラーチャート表が作れそうだった。点描で色彩の景色を科学的に表現したフランスの印象画家ジョルジュ・スーラがこの光景を見たら、きっと興奮して新しいアートを発案するかもしれないと思った。

海の中にも音が存在した。上の方ではサラッとした緩やかな波が作る音が聞こえ、水中ではベラと呼ばれるエメラルド色の強い魚達がガリガリッと珊瑚(サンゴ)をかじって音を立てた。その″食べかす″が時折水中にふわっと舞って海中に白煙を漂わせた。珊瑚はゴツゴツとしていて格好の魚に住まいを提供していた。丸みを帯びたフォルムはスペインのガウディが作ったカサミラのようだった。彼がスキューバをしていたらまた一味違った建造物を創造していたかもしれない。

時々ウミガメがユラーッと間近を横切った。こっちは嬉しくなって騒がしく追いかけると、こっちを横目に見ながらゆったりとしているが早い泳ぎで少しずつ離れていって、奥の色濃い新鮮なブルーの中に吸い込まれるように消えて行った。

ここではスピアガンを使ってよく狩りをした。この青と黄色で出来たスピアガンはなかなか性能が良く、狙うと本当にそこにものすごい早さで正確に海中を切り裂いた。射程距離は1m程、これで伊勢海老を狩るのが大好きだった。狩りは得意だった。ロイに砂地の多い水深3メートル程の珊瑚(サンゴ)の浅瀬にに連れて行って貰い、素潜りを何度と敢行する。ここら辺一帯の珊瑚はキノコ状になっていて、その麓(ふもと)に彼らは潜んでいた。上の方から珊瑚の塊を、パトロールする地方警察巡査員よろしくつぶさに見回った。探しているのは伊勢海老のひげ、当の海老達は気付いていないが、胴体は隠していてもひげは長く、珊瑚の外に突き出ている。それで居場所を掴むのを体得した。それでも時々海底まで潜っていって麓の部分を覗く。

いた!

興奮を覚え、吐き出す息で泡が多くなる。海上に一度昇り、呼吸を整え深呼吸を一回、再び海底まで潜る。体が浮かないように珊瑚を片手で掴み、手を伸ばして狙いを定めて打つ!シュバッと海水を切り裂いて直線に飛ぶとガツッ!!と激しい音を立ててサンゴに突き刺さる。不発!伊勢海老は意外にも俊敏だった。始めはその繰り返し。だが慣れてくるとこちらの方が一枚上手だった。場所を確認してからそっと音を、水の振動すら伝わせないようにゆったりと忍び寄り、腕をいっぱいに伸ばして射程距離を近づける。そして伊勢海老の眉間を狙うのだ。狙いを定めて引き金を引く!殻を貫通するバチッとした感触を感じるともうそのエビはこちらの手の内にあった。その日の海水は恐ろしく綺麗だった。このまま飲めるんじゃないかと思うぐらい真水のように透明だったが塩味が濃かった。伊勢エビはこれでもか、というぐらいの力でものすごく暴れ、砂底をめちゃめちゃに巻き上げ、その辺りの「清らかな秩序」を乱した。素手で掴むと殻の突起で怪我をする。軍手をはめた片手で胴体をワシズカミしてボートに戻った。よく見ると初めて見る色のついた伊勢海老だった。日本名は「ゴシキエビ」と呼び、エメラルドグリーンをベースにこの辺りの素材をギュッと集約したような沢山の色彩を体中に纏(まと)っていた。そのサイズはどれも大きくその中の一匹は自分の胴体程の長さだった。ひげを入れると上半身程。人は古代から狩りを繰り返し「生活の糧」にしてきたが、そのシンプルで直線的で素直な喜びはこの狩りで実感した。心から嬉しいのだ!その喜びは獲物のサイズに比例した。達成感がじわっと心の奥底から噴き出してくるような感覚がいつまでも続くような気がした。

狩りの最中は「狩られる心配」はあまりしなかった。珊瑚の狭い隙間には大きな鮫は入れないのを知っていた。サンゴは人にも優しいのだ。だが、この素晴らしく透明な海水を泳いでいるとピチピチとした痛みを体中に感じた。確実に目には見えない「何か」に刺されていた。腫れはなかったが痛みはしばらく続いた。ロイには聞かなかったが、あれはいったい何だったんだろう。今でも疑問に残る。

その夜は一番大きなサイズの伊勢海老を2匹貰い受け、調理をした。まず浜辺から透明に限りなく近い海水を汲んでくる。その海水で昆布、海藻と小魚を入れてダシを取り、その中に全体を真っ二つに割った伊勢海老をそのまま放り込む。そのまま適度な火で殻が赤くなるまでじわっと煮込んだ。最後に火を抑えて日本から選んで持って来た長野県の白味噌を入れる。隠し味に石臼で適度に擦った黒こしょうを一つまみ投下した。とげの鋭いモンスターが潜んでいるようなものすごい様相の味噌汁が出来上がった。日本人の僕、イアンとマイク(メルボルン近郊の牧場主)は興奮したが2人のアメリカ人はかすかに引いていた。巨大なエビの頭が、鍋の中でものすごく窮屈そうにしていた。

新鮮な伊勢海老を新鮮な海水で煮込んだこのシンプルな味噌汁は、予想以上に深みを出していた。殻を摘み上げ、叩き割って中身を味噌と共にみんな無言ですする。引いていたアメリカ人のカップルも顔に微笑みをたたえていた。それを横で見ていると幸福感で心がいっぱいになった。鍋は少量の味噌汁と縁にこびりついた海藻が残るだけだった。

釣りの話しをしよう。

翌日も最高に天気は良かった。訪れた季節が良かった為、浅黒い少年が見せる白い歯のような爽やかな空気と、ずっとこちらを覗いているひまわりのような太陽が見守っていてくれた。時折、くっきりとした密度の高い白人スポーツマンの胸板のような分厚い雲が太陽を覆った。

ロイはこの辺りの海域を良く知っていた。ナビがついているかのように最短距離で目的地のサンゴ礁までたどり着くと、頭でっかちなリールが付いた大きな竿にド派手でおおざっぱな形をしたこれまた大きなルアーを何個か投げ入れた。そしてそのサンゴ礁、直径100mの周りを逆時計回りに船を走りだした。スピードは結構早目だった。静かな波間の音に、エンジンが豪快な音を辺りに撒き散らして被った。音はその二つだけだった。みんなで竿先を見つめていると、間もなく竿がガツン!と振動し、ものすごい速さでナイロンの糸がジィーーーーーーーーーーーーと深い青い海の中に吸い込まれていった。

かかった!

すかさず竿を取り上げ、戦闘準備にかかった。その勢いのある竿の彼方の生物(勢いを見てると、どうも「魚」という気がしなかった)に反発すると竿が綺麗な弧を描き、ほぼ半円を作って思いっ切りキシんだ。リールは悲鳴をあげ、糸を吐き続けた。ものすごい勢いで体ごと持って行かれそうだった。覚悟を決めて踏ん張り、やっとの事でリールを逆回転させ少しづつその生物との距離を縮める。海底に沈んだ密度の濃い鉛を引き上げているような感覚、想像を超えた重さだった。それでも少しづつ少しづつ距離を縮めていくと、距離にして30m程でその生物が海上で暴れるのが見えた。Spanish mackerel(鬼カマス)だった。最後の3mまで必死になって攻防を繰り返すとキラリ、魚体が光った。ロイがカギ爪で豪快に船内に引き入れる。腕の筋肉がしばらくブルブルと勝手に震えていた。

鬼カマスの体躯はとてもキレイでとても美しかった。白銀の魚体は太陽の光を反射してより新鮮さを強調していた。いつまでも眺めていられた。

余韻に浸る時間もない位、その日は大漁だった。

みんな調子に乗って色々な海の幸を船の中に引き入れた。コーラルトラウト、レッドエンペラー(鯛の巨大版)やコッドと呼ばれるクエの仲間達。

ポイントを変える為にボート移動させていると、やがてカモメが騒がしくしているエリアを発見、そこに小魚がいる証拠だったが、そこにいたのはそれだけではなかった。天然マグロの群れが海上をジャンプしながら勢いよく彼らを漁っていた。あまりの勢いにカモメも襲っているように見えた。その光景を見てみんな黙ってはいなかった。パプアニューギニア人のラッセル、波間にピンポイントでルアーを投げ入れた。ルアーが水面に着地すると同時にガツンと当たりがあった。見事ヒット!みんなからどよめきのような歓声が上がった。これを見た僕は「ワサビ醤油」を用意しなければと思った。みんなもSASHIMI、SASHIMIと合言葉のように声を出した。期待を一身に受け、重そうにリールを巻くラッセル、間違いなく今日のヒーローだった。

ボートの際まで来て、ロイがカギ爪を用意した時、突然ラッセルの気が抜けた。

ボート際の弱った魚達を待ち伏せした大きなサメが、一噛みでまさしく美味しい部分をさらっていった。全員の緊張の糸がプチッと音を立てて切れたように聞こえた。それを察したロイは、これはよくある事だとつぶやいた。この日、イアンも自分の身長程のチョウザメを引き当てたがボート手前で逃した。それでもみんなでかなりの魚達を手に入れた。

夕闇が拡がると、オレンジの光が辺りの空を滲(にじ)ませ、青い空を少しづつ変えて行った。それが穏やかな海に反映して、天空と地上を同じ風景に変えていた。空気までもが色彩を帯びたように感じた。

ただ純粋に美しかった。

しばらく顔に微笑みをたたえながらじっといつまでも眺めていられた。夕焼けの色がにじんで体の中にまで入ってくるような気がして心の中にじわっとした深い感動を覚えた。

ワニに襲われた女の子

この美しいハギスタン島は非の打ち所のない素晴らしい場所ではあるが、ここにも「バラのトゲ」のような少しとがった話しがある。

ワニに襲われた女の子

本人に会って実際聞いた話し。14歳ぐらいの女の子、名前はHanna(ハナ)。静かで物腰がすらっとした女の子だった。

ここハギスタン島には、建設関係の手伝いをしているオーストラリア人のきさくなおじさんがいた。そしてそのおじさんには一人娘がいた。それがHannaだった。ロイにはその子と同じ年のサーフィンのモデル雑誌から飛び出してきたような息子サムがいて、子供達を連れて島の近くのサンゴ礁に泳ぎにきていた。その日、天気は快晴で素晴らしい昼間の時間を過ごしていたそうだ。しばらく遊んでいるとボートの近くで突然、この女の子が悲鳴を上げ溺れだした。見るとこの子の横に3m程のソルトウォータークロコダイル(イリエワニ)がいて左手に噛みつき、ものすごい力で水中に引きずり込んでいた。この手のワニは獲物を捕まえるとまず水中に引っ張り込み、デスロールと言われる行為をする。掴んだ獲物を軸に体を回転させ溺れさせるのだ。ワニは塩水の中で生活出来るのかとみんなは思うかもしれないが、実は出来る。この島はオーストラリア本島から何十kmも離れていて、普段ワニがいるような場所ではないのだが、時々この辺りまでワニが遠泳してくるのだそうだ。ロイに言わせるとワニは泳ぎがかなり得意でかなりの距離を移動できるらしい。

オーストラリアには大きく分けて「淡水ワニ」と「塩水ワニ」がいる。「淡水」の方は口先が細長く、主に小魚を捕食していて人間に危害を加える事はほとんど無い。「塩水」に生息しているワニこそ、このオーストラリアでも年間何十件もの人達が犠牲になっている「人食いワニ」なのである。ある日、警察官と警察犬がパトロールでヤシの木がキレイに植わったビーチ沿いを歩いていると突然、犬がこの種類のワニに海側からガバッと急に襲われて犠牲になった事件があった。そのワニは後日捕獲され、ケアンズ市内の動物園で今でも生きている。

 ロイはこの光景をボートの上から見つけると、いきなりボートからこのワニの背中めがけてジャンプしてまたがり、両親指を思いっ切りワニの目に突き刺した。するとそのワニはたまらず女の子の手を放して泳いで逃げ去ったそうだ。さすが本物のクロコダイルハンター!恐れを知らない。その子は手の数か所を縫う怪我を負ったが、ロイのお陰で大事には至らなかった。この救出劇が話題を呼び、テレビ番組が一時間のドキュメンタリーを制作した。

実際その番組を見せて貰った。ロイの紹介の中で、クロコダイルハンター時代の映像を流していた。若いロイがワニがうようよしている場所で、平気でジェットスキーを笑顔で楽しんでいる場面があった。この写真に写っているワニ革もロイが狩ったものだ。「恐れを知らない男」に初めてここで会った。

世界には本当に色々な人間が暮らしている事を知った。